
本資料の概要
各家が先祖の歴史を記録した系譜が、それぞれの家にとってかけがえのない財産です。
一方、歴史史料と見る時、事実誤認、誤解、誇張、謙遜などが入り込む可能性は否定できません。研究者が系譜の正確さを検証することは大きな負担になってしまいます。
この負担を回避するには、可能ならば藩が公式の記録として編纂した「加賀藩諸士系譜」のような一次史料を用いることが重要です。

写真は「加賀藩諸士系譜」の表紙と扉です。表紙に書かれた「イ一」は分類で最上位家格の内、イからはじまる市川、石橋、石黒を載せ巻であることを示します。石黒は、支藩となった越中の旧領主層として、一に分類されています。扉の年月から天保3年に藩が改定した版とわかります。「幹齋津田信成」は、系譜編纂責任者署名です。
各家は私的な系譜記録である「先祖由緒帳并一類附帳」などを作成して藩庁に提出します。藩庁は藩庁文書・他家文書・既存資料と照合し真偽を判定した上で、家格別・役職別の観点から「イ一」などに分類し、藩の御書役が統一体裁で浄書・清書して公式記録『諸士系譜』として完成させ、藩の公文書庫(御文庫)に収蔵しました。



写真上は、加賀藩から引き継いで、金沢市立図書館近世資料室が保管する加賀藩諸士系譜の石黒分のすべてのページ。下は、その冒頭部。越中木舟城主大炊助光教から始まり、左近蔵人成綱の項には、織田信長に謀殺された事情が記されています。続けて、善九郎房勝が尾張に向かった事情も記されています。
加賀藩は、藩の成立時に、国人領主・在地武士などを含む多様かつ大人数の召し抱えを行い、藩が成立してからも、家格の権威付けを藩内序列維持に用いる大藩ならではの事情がありました。諸士系譜においても、藩に仕官する以前の祖先・前史を重視して審査を行い「家格の歴史的正統性」を正規の家系として藩が承認する特徴を有していました。
史料に見える木舟城主大炊守光教、左近蔵人成綱、善九郎房勝の事蹟は、石黒家の歴史的正統性・在地領主層の家格を藩が公式に承認したという意味を持ちます。表紙表題の「諸士系譜イ一」から、目次に併記される他家と同等に石黒家の家格が最上位であったことがわかります。
藩から引き継いで、金沢市立図書館経緯性資料室では、各家が提出した「由緒帳」も大切に保管しています。


【参考】今日の出来事が新聞・テレビ・インターネットなど複数の媒体で記録されるように、戦国時代の出来事も複数の史料に記録されています。
石黒成綱の最期は、織田信長側の記録である『信長公記』にも記されています。ここでは、太田牛一『現代語訳 信長公記』(榊山潤訳)による該当箇所を紹介します。
『信長公記』は織田政権側から見た記録であり、石黒家側に伝わる史料や加賀藩諸士系譜などと比較することで、当時の出来事をより立体的に理解することができます。
【 加賀藩諸士系譜 】からわかること
・会津以前、越中・加賀時代の石黒家を知るための重要史料
・木舟城時代から加賀藩への連続性を考える出発点
『加賀藩諸士系譜』は、石黒家の祖先を知るための史料であるだけではありません。加賀藩が石黒家の由緒と家格をどのように公的に認めたかを知ることができる重要な一次史料です。
