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 石黒家は安土桃山時代の越中木舟城主大炊助光教として歴史記録に登場します。木舟城は1586年の天正大地震で倒壊し城主夫妻が圧死したと記録にありますが、それは石黒一族ではありません。大炊助光教が登場する「加賀藩諸士系譜」を続けて読むと、光教の子・成綱が織田信長に謀殺され木舟城落城の記事が見つかります。
 石黒八右衛門家の祖先は、地震からも信長からも逃れることができた光教の三男・善九郎房勝です。善九郎は「神君御馴染ノ者故得(徳)川家江」とあるように、越中から尾張に移って戦国末期を切り抜けます。その孫・八右衛門範良は駿府藩主徳川忠長の家臣(御書院番)となりますが、忠長自害により浪人となってしまいます。しかし、縁あって忠長の異母弟・会津藩祖・保科正之に仕官して、会津藩士・石黒家が歴史に登場します。戊辰戦争敗北後、石黒家は斗南に流され、やがて北海道に渡って今日に至ります。
 「石黒八右衛門家資料館」は、十二代当主にあたる石黒隆一が御先祖が残した記録を保管するために立ち上げた「一族の系譜」でしかありません。しかし、次の地図のように一族の450年の営みを加賀藩諸士系譜尾張藩士林泝徊会津藩諸士系譜会津藩家世実紀とつながる一次史料によってたどる歴史記録という側面を有しています。

石黒八右衛門家史料館は、一次史料をもとにしたデジタル史料館として、
現在も展示の整備を進めています。
そのため、すでに史料や成果をご覧いただける展示室と、展示準備中の展示室があります。
今後、調査成果を順次追加しながら、内容を充実させてまいります。
あらかじめご了承のうえ、ご覧いただければ幸いです。